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「許す」ことと「認める」こと

2014.01.13 Mon 22:50

似てるようで結構違う

俺はそう思うなぁ。




「許す」っていうの本音では許してない。
内心では自分の思い通りにならなくて嫌なんだけど、ソレを妥協して「許す」


「認める」っていうのはバッチリ自分と合っている感じ。
「おぉ、いいね。わかる。」みたいな。




なんていうかな。
「許す」=「許容」のイメージが大きい。



小さい頃から友人作るのヘタで、なんでだろうなぁって思っていたら
やっぱり相手と自分の性格が合わないのよね。

――

人に対して「なんでお前、平然とそんなことできるの?」って思うことが多々ある。
まぁ、待ち合わせに遅れてくるとかね。


親からこういうの結構厳しく躾けられてて、人はこれを育ちが良いというけれど
当人としてはこれが普通なわけで。

――

そう思うことがたくさんあっても、それでも今までいろんな人と知り合って友人作ってきたよ。
その、いままで作ってきた友人を分類するとこんな感じ。

「俺の許容範囲に入った人」∋「俺の認めた人」



結構上から目線な感じあるけれど、
友人作りってそんな感じじゃないかな。誰彼構わず友達になれるわけないでしょ。




まぁ、何が言いたいかというと
認める範囲は限りなく狭くても、許容範囲は限りなく広くすべき」ってこと。



20数年間生きてきてもこのセカイにはいろんな考えの人がいるって気づく。
その中にはもちろん自分とはソリが合わなくて、良い関係が築けない人もいる。ソレが原因で喧嘩したりね。


そういう人を突っぱねるのではなくて、
「あぁ、そういう人もいるのね。」と自分の許容範囲に入れていく必要があると思う。

仕事とかでも、「あぁあの人とはうまくやっていけないだろうなぁ」って思う人がいても、
自分が妥協して許容範囲を最大限に広くしていかないと何も始まらないよね。
うまくいかないだろうなぁ、って思っても仕事なんだからやっていかなきゃいけないんだから。





限りなく駄文に近くて日本語かけてないけど、そんなことをシャワー浴びながら考えてた。
まぁ、これを考え始めたのも一つ理由があるのよね。

それは関係ないことだし、アニメを見て思いついたっていうだけだから割愛。


上に書いてあるように、
認めることができる人は少なくとも、許容範囲をもっと広げられるような人間になりたいなと。

俺が認める友人なんてほんの一握りだからね。
あとはもうアレだよ。あちらを立てればこちらが立たずみたいな人たちだよ。
講義サボったり、時間守らなかったり云々…。

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